バートロ・コロン bartolo colon: 1973年5月24日生 年度: 年 齢: チーム team: 防御率 era: 勝利 w: 敗戦 l: セーブ sv: 試合 g: 完投 cg: 完封 sho: ホールド hrd: 勝率 wpct: 投球回 ip: 被安打 h: 被本塁打 hr: 与四球 bb: 与死球 hb: 奪三振 k: 暴投 wp: ボーク bk: 失点 r: 自責点 er: その他 バートロ・コローン・モラレス(Bartolo Colón Morales, 1973年5月24日 - )は、ドミニカ共和国プエルト・プラタ州アルタミラ(英語版)出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。メキシカンリーグのモンクローバ・スティーラーズ所属。愛称はビッグ・セクシー[1]、モラレス[2]。, 1997年4月4日にメジャーデビュー。その頃から本格派右腕として注目され[4]、黄金期のインディアンスにおいてエースとして活躍。, 1998年は6月にピッチャー・オブ・ザ・マンスを受賞するなど、前半戦は9勝4敗、防御率2.46を記録し、オールスターに選出され、勝ち投手となっている[5]。後半戦は5勝5敗、防御率5.65に終わった。, 2002年シーズン途中にリー・スティーブンス、ブランドン・フィリップス、グレイディ・サイズモア、クリフ・リーの交換要員としてティム・ドリュー(英語版)と共にモントリオール・エクスポズへトレード移籍。同年、両リーグで10勝を挙げた。MLB史上、1945年のハンク・ボロウィーに次いで2人目の快挙となった[6]。, 2003年1月15日にシカゴ・ホワイトソックスへトレード移籍[6]。ホワイトソックスでは15勝13敗、防御率3.87と前年より悪化したが、自己最多・リーグ最多タイの9完投を記録。, 2003年12月9日に4年総額5100万ドルでアナハイム・エンゼルスへ移籍した[7]。, 2005年は自己最多の21勝で防御率も3.48。しかし、シーズン最後の2ヶ月間は腰痛に苦しみ、途中降板の試合もあった[4]。ニューヨーク・ヤンキースとのディビジョンシリーズ第5戦では2回途中で肩に激しい痛みが走り降板した[4]。その後、チームはリーグチャンピオンシップシリーズへ進出したが、このシリーズでは登板機会はなく、シカゴ・ホワイトソックスに1勝4敗で敗退。シーズン終了後にサイ・ヤング賞を受賞したが、ニューヨークではマリアノ・リベラの受賞を望む声が多く、「ESPN.com」の記者は防御率、奪三振、投球回などでコローンを上回る成績を残したヨハン・サンタナが獲得すべきという声もあった[4]。, 2006年開幕前の3月に開催された第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)のドミニカ共和国代表に選出された[8]。, シーズンでは4月16日に右肩の回旋筋を痛め、6年振りの故障者リスト入り[9]。6月中旬に復帰後も右腕痛で7月下旬にシーズン絶望となるなど自己最低の成績に終わり、8年継続した規定投球回、二桁勝利も途切れた。手術を検討されたが、筋肉強化のリハビリテーションなどで回復を図った[10]。, 2007年シーズンも怪我のために防御率6点台の不振に終わった。シーズン終了後にFAとなった。, 2008年2月25日にボストン・レッドソックスとマイナー契約[11]。開幕メジャー入りはならなかったが、5月21日に昇格してメジャー復帰を果たした。そして同日本拠地フェンウェイ・パークでのカンザスシティ・ロイヤルズ戦にて先発登板をし、5回を被安打6四球2に抑えて勝利した。5月は好調だったものの、6月は月間防御率5点台と調子を落としマイナーに降格。9月に再昇格し、1試合に先発した。シーズンを通じてはメジャー昇格後ワーストとなる7先発、39投球回に留まったが、4勝2敗、防御率3.92と成績は持ち直した。, 2009年1月15日にホワイトソックスと1年100万ドルで契約[12]。前年を上回る12試合に先発したが、3勝6敗、防御率4.19に留まった。, 2011年1月26日にニューヨーク・ヤンキースとマイナー契約を結んだ。オープン戦では結果を残し、フレディ・ガルシアと共にロースター入りを果たした。シーズン序盤はロングリリーフの役回りだったが、そこで結果を残して4月20日に先発登板の機会を得ると、7回途中2失点に抑えて約2年ぶりの勝利投手となった。5月30日には約4年ぶりとなる完封勝利を記録。以降はローテーションをほぼ年間通して守り、5年ぶりの規定投球回到達を達成。打線の援護にやや恵まれず、8勝10敗だったが防御率4.00とまずまずの成績を残した。, 2012年は、アスレチックスに所属。東京での開幕第2試合(マリナーズ戦)に先発し、勝利投手となった。4月18日のエンゼルス戦では38球連続ストライク投球というMLB史上最長記録を樹立[13]。8月22日、MLBの薬物検査でテストステロンの陽性反応が出たため、50試合の出場停止処分を受けた[14]。この出場停止が響き、二年連続となる規定投球回到達はならなかったが、6年ぶりの二桁勝利となる10勝を挙げ、防御率3.43と成績を向上させた。 11月3日に1年300万ドルと出来高払いで再契約を結んだ。, 2013年のバイオジェネシス・スキャンダルで禁止薬物の購入が発覚したが、既に処分を受けていたために追加処分は科されなかった。同年はシーズンを通じて好調で、夏場に一度故障者リスト入りしたものの、防御率2.65(リーグ2位)は40歳にしてキャリア最高の数字だった。また18勝はリーグ2位で、リーグトップタイとなる3完封も記録した。オフの10月31日にFAとなった。, 2013年12月11日にニューヨーク・メッツと総額2000万ドルの2年契約に合意したことを報道され[15]、14日に球団が発表した[16]。, 2014年8月7日のフィラデルフィア・フィリーズ戦で通算200勝を達成した[17]。昨年より全体的に数字を落としたが、年間を通してローテーションを守り、15勝を挙げて防御率4.09と一定の貢献をした。また自身8年ぶりとなる200投球回を達成した。またこの年の9月にはニューヨーク州クイーンズ区でアメリカ合衆国籍を取得した。, 2015年も先発ローテーション通りに登板し、チーム最多の1942⁄3イニングに投げた[18]。ナショナルリーグワーストの217安打を浴びたが、完封勝利1つを含む14勝を挙げ、4年連続二桁勝利以上とした。オフの11月2日にFAとなった[19]が、12月18日にメッツと1年契約を結んだ[20]。 また、2015年シーズンをもってそれまでのMLB現役最年長選手であったラトロイ・ホーキンスが引退したため、2016年シーズンからはMLB現役最年長選手となった[21]。, 2016年5月7日のサンディエゴ・パドレス戦ではキャリア初の本塁打を放った。42歳11か月でのメジャーリーグ初本塁打はランディ・ジョンソンの40歳を抜いて最年長記録[22]。同15日には初四球も記録した[23]。シーズンを通じては年間を通じてローテーションを守り、4年連続となる投球回数190回以上、5年連続となる二桁勝利を記録。防御率も3年ぶりに4点台を下回り、ナ・リーグ全体で13位と現役最高齢にしてなお一戦級の実力があることを示した。オフの11月3日にFAとなった[24]。, 2016年11月17日にアトランタ・ブレーブスと1年1250万ドルで契約を結んだ[25]。, 2017年開幕前の2月8日に指名投手枠で第4回WBCのドミニカ共和国代表に選出された[26]。シーズンでは6月6日に左腹斜筋の張りで10日間の故障者リストに入り、28日に復帰したが[24]、当日先発登板したパドレス戦で4回6失点で降板、2勝8敗、防御率8.14の成績となり、翌29日にDFAとなった[27][28]。7月4日に自由契約となった[24]。, 2017年7月7日にミネソタ・ツインズとマイナー契約を結んだ[29]。7月18日にメジャー契約を結び、アクティブ・ロースター入りした[30]。8月20日のアリゾナ・ダイヤモンドバックス戦に勝利し、史上18人目の全30球団からの勝利を達成した[21]。しかしそれ以外では振るわず、移籍後は15試合先発で5勝6敗、防御率5.18であった。シーズン通算では28試合先発で7勝14敗、防御率6.48に終わり、連続2桁勝利は5年で、規定投球回到達は4年で途切れてしまった[24]。オフの11月2日にFAとなった[31]。, 2018年2月4日にテキサス・レンジャーズとマイナー契約を結び、スプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[32]。3月24日に一旦自由契約となるが、26日にマイナー契約で再契約した[24]。4月2日にメジャー契約を結び、アクティブ・ロースター入りした[33]。この年は28試合(先発24試合)に登板して7勝12敗、防御率5.78、81奪三振を記録した。オフの10月29日にFAとなった[24]。, 2020年2月15日に、メキシカンリーグのモンクローバ・スティーラーズと契約した[34]。, 強靭な脚力を持ち味とし、捕手のような極端なショートアーマー(バックスイングの際に腕を完全には引かない動き)の腕の振りから投げる2種類の速球を武器とし、かつて最速101mph(約163km/h)を記録したノビのあるフォーシームは、2015年時点で平均90mph(約145km/h)と衰えたものの変わらぬノビがあり、基本球種としている平均87mph(約140km/h)のツーシームは右打者の手元で食い込むように動く[35]。他にも大きく横に変化するスライダーや対左打者にはサークルチェンジを投げる[35]。また、1996年にマリアノ・リベラからカッターの握り方を教わっており、ごく稀に投げることがある。また、エンゼルス時代までは80mph(約128km/h)前後のカーブも投げていたが、2008年以降は投げていない[4]。, 試合の後半になるにつれて球の威力が増す傾向がある一方で、対戦打者のレベルに合わせて投げてしまう[35]。, スカウティング・レポート『月刊スラッガー』2004年6月号、日本スポーツ企画出版社、雑誌15509-6、6-9頁。, Twins Players Weekend nicknames explained, July 7, 1998 All-Star Game at Coors Field Play by Play and Box Score, http://chicago.whitesox.mlb.com/news/press_releases/press_release.jsp?ymd=20030115&content_id=191592&vkey=pr_cws&fext=.jsp&c_id=cws, http://sports.espn.go.com/mlb/news/story?id=1682062, “White Sox Agree to Terms on One-Year Contract with Pitcher Bartolo Colon”, http://chicago.whitesox.mlb.com/news/press_releases/press_release.jsp?ymd=20090115&content_id=3745095&vkey=pr_cws&fext=.jsp&c_id=cws, https://www.baseballchannel.jp/mlb/64234/, Mets sign Bartolo Colon to a two-year contract, 44 is the new 30: Colon has W vs. all MLB teams, 【米国はこう見ている】メジャー最年長42歳の右腕コロンが初本塁打 会場大興奮「不可能が可能に」, DR aims to defend title as WBC '17 roster set, Bartolo Colon signs with Monclova Acereros of Mexican Baseball League, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=バートロ・コローン&oldid=79847986, ANA(アナハイム・エンゼルス)は、2005年にLAA(ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム)に球団名を変更. バートロ・コローン選手のMLB成績・年俸データ一覧。各年度の年俸や打撃成績・投球成績をはじめ、各試合での打撃内容なども確認できます。 ☰ メジャーリーグ成績・年俸ログ mlb-gurazeni.com.

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